たそがれ壺記

古典の森に棲み暮らし、奇談・怪談を語る偏人のブログです。

【あやしい古典文学の壺】03/01日付の更新について

「袴幽霊」:手討ちにあったときの服装だからと袴姿で暢気に徘徊し、按摩を頼めば気軽に引き受ける。一見憎めないやつです。しかし、舟を沈めて罪のない人々を道連れにしたあたり、やはり怨霊ですね。

「手柄話」:勝鬼坊は、じつに久しぶりの登場。あやしい古典文学 No.782「勝鬼坊」と読み比べてみてください。

ハルさま:
>40年以上前、沖縄に運ばれてきた子供の象がいなくなり、いまだに行方不明……
この話は知りませんでした。調べてみたら、空港で檻を破って逃走したとか。生後11ヵ月の乳幼児ながら、さすが象、という感じです。「鼠が怖い」にあるように、泳いで故郷へ帰ろうとして、溺死したのかも。哀れなことだ。

【あやしい古典文学の壺】02/21日付の更新について

次の二編を追加しました。

「鼠が怖い」:日本に初めて象が渡来したのは、本文にあるように応永15年(1408)で、若狭の小浜に漂着した船に積まれていたとされます。室町時代、足利四代将軍義持のときです。その後象は、信長のころや秀吉のころにも来たらしくて、享保14年(ほんとは13年)のが二度目というわけではなさそう。それでも享保の象は、長旅をして京都で従四位の官位をもらったりしながら江戸まで行って、徳川吉宗に献上されたことから、もっとも有名です。十数年後、エサ代がかかりすぎるという理由で民間に払い下げられ、見世物になったあげく死んでしまいました。

「雷が怖い」:雷恐怖症というのがあります。じっさい雷は怖いんですが、世の中に怖いものはほかに色々あるわけで、ことさら雷を怖れるのは理解しがたいところです。とはいえ、そもそも恐怖は理解の埒外なのかも…。

【あやしい古典文学の壺】02/11日付の更新について

次の二編を追加しました。

雷鳥・岩鳥」:「岩鳥」について本文には「これは『農鳥岳』の農鳥と同様の説だろうか」とありますが、そうではありません。「農鳥」は山腹にあらわれる雪形なのに対して、「岩鳥」は雷鳥の別名ともいわれ、おそらく実際の鳥です。雷獣を取って食う猛々しい雷鳥と、言行不一致のずぼらな岩鳥ではだいぶ違いますが、いろんな性格の個体があるのかもしれない。

鳳凰山」:現在「鳳凰山」という単独の山はなく、地蔵ヶ岳・観音ヶ岳・薬師ヶ岳を総称して「鳳凰三山」と呼んでいます。筆者は岩鳥のいる山「地蔵ヶ岳」を別項で扱っていますから、観音ヶ岳・薬師ヶ岳の両方もしくはいずれかが、当時は「鳳凰山」と呼ばれたのでしょう。

ハルさま:
>いつから鳳凰山なのか、神社に何を祀ったのか、金色の鳥や芳しい香りの獣は何なのか。…
昔の人の高山に対する畏敬の念は、今の我々にははかりがたい部分があると思います。まあ航空写真で山容を見下ろせる現代は捨てがたいですが、ジャコウネコに遭遇したり金色の鶏に餌をやったりするのもいいなあ。

【あやしい古典文学の壺】02/01日付の更新について

次の二編を追加しました。

「美濃山中の仙女」:中国の仙人・仙女というのは、不老不死であるうえに通力を有し、天界と往来できるといったことが必要ですが、日本のそれは、単に山の中で長生きしていればいいような趣があります。まあでも、考えてみれば、長生きだが病弱で寝込みがちな仙人なんてのはまずいし、「木曽山中の妖」の山姥みたいに獰悪なのも仙女とは言い難い。

「木曽山中の妖」:木曽山中といえば、国枝史郎の伝奇小説「蔦葛木曽桟(つたかずらきそのかけはし)」を思い出します。青空文庫でも読めるはず。いろんな人物が出てきて構想のスケールが大きいですが、読み終わると少しがっかりします。

ハルさま:
>寒い夜:これは絶対嫌だわ。
やっぱり……。
>美濃山中の仙女:この、あやしいまま漂ってる雰囲気がいいですね。
「今年二百四十歳くらい」とか、「髪は棕櫚の毛のよう」とか、何気なく言っているのが快いです。

【あやしい古典文学の壺】01/21日付の更新について

次の二編を追加しました。

「盗賊 vs.女四人」:女が四人がかりでワーワーキャーキャー抵抗するんで、盗賊も持て余したんでしょう。下女の報賞金だけ少ないのは納得できません。


「寒い夜」:血なまぐさくて嫌われるのは、まあ仕方ないです。お気の毒さまとしか…。
江戸時代、犬鍋はわりと食べられたみたいですね。牛馬や猪熊鹿などの獣肉は農村とか山間部に行かないと手に入りにくいわけですが、野良犬なら町中にもゴロゴロいたはずですから、捕まえて食べる気なら容易だったでしょう。