たそがれ壺記

古典の森に棲み暮らし、奇談・怪談を語る偏人のブログです。

【座敷浪人の壺蔵】更新について

〔あやしい古典文学の壺〕に4編追加しました。

12/11「満方」:いわゆる「マンボウの昼寝」は、深海に潜って冷えた体を太陽光に当てて温めているんだそうです。そうかもしれませんが、体が冷える魚はほかにもあるだろうに、マンボウのみが水面に横たわって無防備にプカプカしているのは、納得しがたいところです。
「海鰻」:ウミウナギと読めば、ウツボやウミヘビのこと。ここでは「caiman」に漢字を当てたもので、ワニ目アリゲーター科カイマン亜科に属するワニさんなのであります。

12/20「狐孫右衛門」:杉浦日向子『百物語』の中の狐孫右衛門の話が好きです。あのストーリーの原話があるのか、杉浦日向子が翻案したものなのかは知りません。
「行けども行けども金剛山」:金剛山はわが家からも見える山で、高さは1100メートルちょっと、さして険峻という感じではありません。それでも高山のない関西では霊山とされ、修験の山です。文中の「平惟持」は「平惟茂」のこと。惟茂が金剛山に縁があるとは聞きませんが、どうしてこんな結びつきが書かれたのか…。

ハルさま:
今年も一年、おつきあいいただきありがとうございました。書き込みから考えのひらめくことが幾つもありました。それを糧に、来年もそれなりに続けるつもりです。

【座敷浪人の壺蔵】更新について

〔あやしい古典文学の壺〕に4編追加しました。

11/21「山魅」:一般に「すだま」と呼ばれるやつの仲間でしょう。木こりに対する樹木の側の反撃ともとれるけど、やられようを見ると案外弱っちい。
「山神の祟り」:祟りというほどのことではなく、狐に化かされたとしか思えない。

12/01「山吹猫・出世猫」:府中城内では、猫に出会うたびに一喜一憂。難儀なことです。
「風来童子」:「畏れ多い筋の子」といっても、いわゆる貴種ではなく、叩いた腕を麻痺させるような異能があることから考えて、鬼神・山神の類の子かもと危ぶんだのでしょう。でもそれだと、追い出したら祟られそう。

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〔あやしい古典文学の壺〕に4編追加しました。

11/01「鶴・白鳥」:鳥の肉はみな美味なもののようで、あのカラスでさえ食べればかなりイケるとのことです。気力が増すかどうかは分かりません。
巴西侯」:牧歌的な妖怪の時代の終わりを思わせる、ちょっと身につまされる話でもあります。

11/11「味気ない大魚」:イルカや小型のクジラを推測させる描写ですが、それらであれば海岸の住民が知らないはずはないので、やはり未知の魚だったのでしょう。
「遡上」:調べてみたら「プリオノスクス」という約2億7,000万年前の両生類は、体長が9メートルほどあったとのことです。いやあ、太古のロマンですなあ。

ハルさま:
>許真の結婚…子供たちが早逝したのは寿命が狐寄りだったからなのかしら…。
これは考えなかった。納得です。
>遡上…山椒魚は海に居たのだという結論はややこじつけっぽいですが、…
まあそうなんだけど、「ヤマメの稚魚の一部は海に下って豊富な食にありつき、巨大なサクラマスとなって再び遡上する」というのを連想して、私は面白いと思いました。

【座敷浪人の壺蔵】更新について

〔あやしい古典文学の壺〕に4編を追加しました。

10/11「よく食う化け物」:最初は色仕掛けだったのに、途中から食い気いっぽうになったのが笑えます。
「許真の結婚」:結婚相手が狐であろうとそうでなかろうと、人生はこんなものじゃないのかな。許真は誠実に生きていると思います。

10/21「切腹男」:爪の間から狐が入ったとか言って、皮肉を割いて引っ張り出した人の話があります。この場合、狐はいなかったのか、いちはやく逃げられたのか。
「白昼の妖怪」:家じゅう総出で狐を喰うというのは、意表を突く気合のこもった反撃だと思います。この路線で畳みかけて攻めれば妖怪を追い払えたのではないか。惜しいことをしました。

ハルさま:
>大きい亀って、何か深いことを考えていそうでちょっと不気味。
考えの深い大亀は、中国の奇談なんかによく出てきます。甲羅をまとった姿に惑わされているような気もしますね。甲羅がない姿形を想像するに、あまり哲学的とは言えない。不気味は、いちだんと不気味ですが…。

【座敷浪人の壺蔵】更新について

あやしい古典文学の壺〕に4編を追加しました。

09/21「火傷に小便」:〈虫刺されに小便〉などと同様、治療法が心許なかった時代には、こういうのが信じられるのは無理ありません。もっとも現代でも、飲尿健康法のたぐいが行われておりますが…。
「人を殺す亀」:亀は河童の原型とされるものの一つです。この話の亀が「肛門を破る」のも、尻子玉を奪う河童の行動に等しいですね。

10/01「耳の下の疵」「近江から来た生霊」:生霊二題。たとえば怨みを抱いて祟るといっても、死んだ後の死霊の祟りでは今さら感があるのに対して、生霊は現世で勝負なだけ達成感があるかも。それはおくとしても、現に生きている生身の人と離脱した遊魂との二重性は、怪異譚として味わい深いところです。